昨日、トレンダーズサロン「次世代業界で活躍する〜キャリアの積み方〜」で講演しました
久しぶりのブログ日記。しばらく書かないでいると(と言えるほど継続しているわけではないが)、ペースがくずれ、ますます書けなくなる。
昨夜は、女性向けの講演会で私自身の仕事の仕方や考え方について話をした。講演でITビジネスに関するテーマについて話すことは多いが、女性のキャリアや自分自身の働き方や人生観について講演で話したのは初めてだ。テーマがいつもと違ったせいか、時間が短かったせいか、話したいと思っていたことを十分話すことができず、言葉足らずになってしまった気がする。ちょっと残念だ。
十数年前には、女性の就業環境や女性の社会的地位向上、男女平等な社会参画について調査・提言していて、ドイツやスウェーデンに女性就業環境について調査に行ったり、通産省の受託調査で企業の女性就業環境を評価する指標を作成し、総理府の委員会で発表したりしたこともある。あの頃は、どうしたら女性も男性と平等にキャリアアップできるような企業社会になるのか、口角泡を飛ばす勢いで議論していたものだ。懐かしくその頃のことを思い出した。
講演でも話したが、「女性だから」「女性ならでは」などと「女性」という集合体の一部として自分を位置づけていては、私個人には当てはまらない女性一般像に振り回されたり、女性だからということを言訳に使うようになるだけで、私自身、自分個人の能力や特性を明確化できない。平均的女性がどうであろうと関係ない。自分自身がどういう人生を送るのか、どういうスタンスで仕事をするのかが重要なのだと、いつの頃からか考えが変わった。
私は、そういう思いと覚悟で日々社会の中で奮闘していることをみんなに伝えたかったのだが、それは伝わっただろうか?
それ以外にも、イプシ研の仕事の内容についてももっと話したかったのだが。。。
NEC副会長金杉明信氏が亡くなられた
11月8日にNECの前社長、金杉さんが食道ガンで亡くなった。
まさかこんなに早く逝かれるとは考えもしなかったので、驚いた。
3月半ばに社長交代を発表し、手術を受けられたが、その後役員会や政策会議にも復帰しておられ、NECの経営に関しても、政策についても強い意欲を持って取り組んでおられたのに、とても残念だ。
NEC取締役会や情報セキュリティ政策会議でご一緒していたが、10月初旬の「情報セキュリティ有識者会合」で隣席に座り、帰り際に、「野原さん、それじゃまた、役員会でお会いしましょう」と言われたのが、最期になった。
そもそも金杉さんには、情報セキュリティ政策会議の有識者メンバーとしてご一緒するようになったのがきっかけで、いろいろお話をするようになった。
私が経産省産構審「情報経済分科会」で「情報経済産業ビジョン」を策定したメンバーの一人であることを知っておられ、雑誌や新聞の草稿やインタビューを読んで、「消費者の視点でプラットフォームビジネスを考えるというのは面白い。我が意を得たりと思いました」と言っていただいたのが強く印象に残っている。
そんなことが契機になって、私はNECの社外取締役となることになったのだが、まだまだ、私自身どう関わっていけばいいのか明確ではなく、日々模索している段階だ。
NECのような大組織の役員会で、性別が違う、年代が違う、キャリアが違う、究極の異端児として私自身の個性を活かしていくには、どういう役割を果たせばよいか。どういう新風を吹き込めばよいのか。試行錯誤を続けていこうと思う。
金杉さんに、新風を吹き込む役割を果たすところを見ていただきたかったのに、それが適わなくなって本当に残念だが、佐々木会長や矢野社長、その他の役員の方々とともに、NECの将来のために役立つよう、今後も努力していきたい。
金杉さんのご冥福をお祈りします。
週末に映画「クラッシュ」を見た
週末はレンタルDVDで3本の映画を見た。
その中で、「クラッシュ」はなかなかいい作品だった。
昨年のアカデミー賞作品賞、脚本賞、脚色賞を受賞した作品だが、だからといって特に期待することもなく、ヒット映画の一つと思って見てみた。
LAを舞台に、さまざまな人種、階層、職業の人々が複雑に絡み合いながら、それぞれの人生を生きているというドラマなのだが、多くの移民を受け入れながら成り立っている米国社会は、なんと大変なんだろうと改めて考えさせられる。
壮大なる実証実験を見ているようだ。
人種差別と言っても、時代を経るにつれて複雑になり、ブラックの中でも社会的な地位を築いた成功組と底辺で屈折した気持ちを抱き続ける人々がいる。白人たちは時に彼らを所詮はブラックだとして一括りに扱い、傷つける。
アファーマティブアクションにより職を奪われたと逆恨みする白人もいる。
さらに、あらゆる国からの移民がそれぞれの祖国に対する愛着や誇り、風習を持って、次々に入ってくる。
ヒスパニック=メキシカンというステレオタイプな扱いに怒るプレルトルコ人(違ったかも)。
なんと複雑な社会。。。
こうした環境を受け止めて国家として成り立たせている米国は、ある意味、本当にスゴイ!と思う。
「ビジネスマンの情報源、トップはWeb検索、新聞や雑誌を上回る」
8日に発表されたガートナーの調査結果は切り口がうまい。
単に「ビジネスマンの情報源はインターネットが中心」というのではなく、「ウェブ検索」して情報を探すことが最も多いと指摘しているのだ。
ポータルサイトで情報収集するよりも、ブログを見るよりも、検索して情報探索することが多いため、ポータルサイトよりも検索エンジンが重要な存在になってきていると分析している。もちろん、検索してたどり着く先がブログであることもあり、ポータルサイトにも掲載されている情報であることもあるのだろうが、確かに、探索のカギは検索エンジンだ。
選択肢が「検索サイトを介して入手できる情報」「検索サイトのみで提供されている情報」となっており、これが正しく回答者に理解されたのか、少し疑問に感じるが、設問の切り口は興味深い。
20代インターネットユーザーの比率は6年間で半減?!
昨日ネットレイティングスが2000年4月から2006年3月までの6年間のインターネット視聴率データをとりまとめ、ニュースリリースした。
インターネットウォッチには「日本のWeb利用者の年齢構成、6年間で20歳代の比率が半減」というタイトルとグラフが掲載されたが、グラフを見ると一目瞭然。他の年代は6年間ほぼ横ばいなのに、年代別の比率は20代だけがどんどん減っている!
すごいインパクトだ!!
確かに、若い世代や主婦層ではメールはPCから携帯電話へと移行が進んでいるし、ウェブへのアクセスも携帯電話で活発に利用されているので、20代はPCインターネットを利用する人が少なくなっているのかなぁと思ってしまう。
しかし、それは違うのではないか。
そもそも、PCからのインターネット利用者数は、1999年末時点では約2700万人、2005年末で約6600万人、(いずれも総務省「情報通信白書」)と推計されている。6年間にユーザー数が2倍以上に拡大しているのだ。ちょうどそれに対応するかのように、20代の比率は6年間に半減。
ということは、20代ユーザーが減少したのではなく、20代ユーザーは増加していない、あるいは増加数が少ないだけなのだ。
1990年代後半から、大学生にはいち早くPCインターネットが普及し、大学に入学すると同時に全員がノートPCを購入し、ネット接続するのが当たり前になった。そして、就職活動にはインターネットは不可欠になった。
20代は、大学教育や就職活動を通じて、2000年には普及すべき人には普及してしまっていたのではないか。
それにしても、興味深い調査結果だ。
「現代リアル学」
国領先生がSFC研究成果発表会のテーマとして、「現代リアル学」について説明するインタビューが掲載された。
1か月ほど前に国領先生と食事をしたときに、このコンセプトについて話を聞いた。
そのときには「現代リアル学」という言葉はなく、「アカウンタビリティ」というキーワードで話しておられたが、今回の記事を読んで、こういう形でテーマを進めていくんだなと、構想&コンセプトのブラッシュアップとその具体化の関係が少し実感できた気がする。
インターネットというコンピュータネットワークとリアル社会のセンシング、ICタグ、電子決済などの技術発展の先には、トレーサビリティやデータベース処理、ネット決済処理などを縦横無尽に駆使した新たな社会や暮らしが形成される可能性がある。
例えば、道路、街頭、警察などの公共財の概念は厳密な従量制での負担が困難なために、そのコストを社会全体で負担するという社会ができているのだが、もし厳密にカウントできれば公共財の概念をなくしてしまうこともできるかもしれない。
というような話だった。
確かに、とても興味深い話で、ぜひどんな社会になるのか、実現するにはどういう順序で進めていけばよいのか、提言してもらいたい。
とても楽しみな研究だ!